山川方夫「トンボの死」を朗読してみた。
19才の薄幸の少女の一夏の恋とその終り(だけ)の話ではないだろう…。
…というところから想像してみる。
少女の話の内容から青年との付き合いの様子が伝わる形になっていて、最初の話は少女の想いで膨らんだところがあるにしても事実に近い(事実ではないかもしれないが)。最後の話は、話自体がウソ。と想像する。だが現実のウソホントはあまり大事な問題ではないのだろう。
少女が現実の青年を通じて恋をした。それは青年その人に恋をしたのとは少し焦点がずれる。
そしてそれは少女の一夏の大切な出来事だったのだろう。
作者はいくつかの作品で女性心理の独特な不可解さを取りあげている。それと同列のところで、 こうした女性心理が不得手で苦手な老人である自分が、 この作品を想像してみた。
19歳の女性の一夏の現実の哀しい恋の終りというのも充分妥当な理解だろうが、ひねくれ老人には物足りない。
物語表現は読者に想像する余白を与える。作者も物語だから言い切らない。読者が読みたい方向に舵を取ることを認めてくれる。