放浪縄文人の日誌

30歳過ぎて山麓に30年以上暮し、その後1年東京世田谷で暮し、2023年3月末から本州の北の方に行った老人の折々の日誌

2024-01-01から1年間の記事一覧

青春18切符の旅 2024.4.4~4.11

4月の東京行きは、青春18切符を使って在来線を乗り継いで往復した。 行きは青森、秋田を経由して新潟泊、帰りは宇都宮、福島、山形経由で秋田泊の行程だった。秋田から奥羽本線で弘前、青森と行く予定が途中、五能線に乗ってしまい少し大回りしてしまった。 …

第5章 国分寺時代

日曜学級でNくんと関わるようになってしばらくした頃だった。 彼のお母さんから、彼が以前通っていた障害児通園施設で男性の職員を探しているという話を聞いた。 そのことが縁になって一度見学に行き、その後6月から働き始めることになる。 その後半年くらい…

第9章 山麓時代④ 2005年の頃から。

2002年の法人設立から1つ2つと清掃の現場を受託していった。全くの「飛込み営業」だった。 小さいながらも事業者兼営業主任兼経理、総務主任兼現場作業主任と個人的な得手不得手にかかわらず何でもしなければならない。大変さを感じたが、全くの素人には新…

第14章 野辺地での1年目(2023年3月29日~2024年3月末) 

野辺地町に到着したのは、2023年3月29日の昼過ぎだった。役場に行って必要な手続きをし、夕方連れ合いの赴任先の教会に顔を出す。 その日は町内のビジネスホテルに泊まる。 今日はちょうどそれから1年後の3月29日。 今日は夕方から教会で受難日礼拝だ。 朝か…

第1章 府中、西馬込(大田区)時代

高校卒業後、1974年3月から、75年3月までの1年間、府中市北山町と大田区西馬込に住んだ。 上京して、府中のはずれ北山町にある大学寮に入る。ここから1時間くらい歩いて国立駅まで行き、電車に乗って飯田橋駅で降りる。 入学した法政大学に少しだけ通った。…

第2章 新小岩(江戸川区)時代

総武線新小岩駅南口から歩いて10分くらいの中川の少し手前にある雑貨屋の2階、四畳半一間に半畳の流し付きのアパートに6年くらい暮した。法政大学社会学部に復学した1975年春から、北海道然別湖畔のホテルにバイトに出発する1981年4月末までだ。 大学は5年で…

第4章 田無時代

然別での仕事が終わり、1981年10月から西武新宿線田無駅近くにアパートを借りて暮らす。2年と少しの期間だったと思う。 所沢の学校の入学試験には、たぶん2回落ちた。受験資格が30歳までだったので、少し焦った。大学入試の頃から試験に受かることに見放され…

野辺地 2024年1月下旬

今日もめずらしく青空が見える。が、雲一つない晴天というのはまだ記憶にない。そしていつの間にか、曇ったり雨になったり、今の季節なら雪になったりだ。 もう少し雪が降り積もるかと思っていたが、気温が高く雪にならない。 温暖化が進んでいるのだろう。 …

2024年1月の初め

静かな年の始め。 1日は夏泊半島の先、大島に行く。コンクリートの階段を登りさらに十数分歩いた。 雲っていたが遠方に陸地が見える。たぶん西が津軽半島、東が下北半島だろう。 夕方むつ湾を眺めながら野辺地へ。 そんな時間に能登半島で地震があったとは。…

第3章 然別時代 1981年

25歳で大学をなんとか卒業した。 ともかく就職しなければと、年が明け2月頃、水道橋駅近くの旭屋書店の入っているビルの上の方にあった就職斡旋センターのようなところで仕事を探した。 そして1年間会社員をした。 しかしやはり自分には会社員は向かないと思…

第8章 山麓時代③ 法人設立の頃

2002年9月にNPO法人した。 2022年6月に「清算完了」で全ての解散手続きが済むまで20年余り、その事業と共にあった。 1990年代後半、収入的には(仕事の掛け持ちで)以前より安定してきたが、結局は自分で始めなければ、というところに選択肢が限られてきた。 …

12月28日 下北半島 大湊線

大湊線の電車に始めて乗った。毎日家から、運転手の鳴らす笛の音は聞いていのだが。 野辺地駅発10時過ぎの快速は八戸からの快速直通電車で、帰省客?で混んで座れなかった。暖房が効きすぎ空気がよどんでいて具合が悪くなる。 下北駅下車。用を済まし、大湊…