放浪縄文人の日誌

30歳過ぎて山麓に30年以上暮し、その後1年東京世田谷で暮し、2023年3月末から本州の北の方に行った老人の折々の日誌

第11章 山麓時代⑤ 2015年前後のこと その2

この頃から、事業をひたすら続けていくことに、次第に疑問や戸惑い、疲労が溜まってきた。だが自分の経済的な生活がそれに支えられている故、すぐ辞める訳にもいかず続けていた。

この「生活(生存)のため」というのはそうした疲労や戸惑いをいつも後回しにして忘れさせるほどの力がある。

 

だが、閉塞した状況からなんとか抜け出したかった。事業を続けていくうちに、NPO法人の定款の目的に必ず記載することになっている「・・・、よって社会全体の福祉の増進に寄与することを目的とする。」という、初めからよく判らない文言がますます不明になっていく。

自分の中の「よい事をしている。」「社会的に有用な事をしている。」という自負が、限界を作っていた。

そんな自分には、次の課題が与えられることになるのだろう。そしてその前に考えるヒントとして出会ったことがあった。

 

まずは、哲学対話カフェといわれているもの。

了解済みなのか、そんなの当たり前なのか、あまり立ち入らないのが暗黙の約束なのか、それにしてはどうでもいいようなお喋りに溢れる身の回りに苦痛が溜まっていた。

対話カフェという場には、苦痛を解放してくれるなにかがあると思った。

少しは「哲学」のことも学ばなければと放送大学でいくつか受講した。

東京都内で開催されてるいくつかの会にも参加した。

それぞれ異質な体験を経ている人同士が、「言葉」という手段を使って理解していく。

その大切さと、一方での難しさがあった。

 

そうした場を運営していくには、社交的なコミュニケーション能力が必要なのだろう。

その後自分でも開催してみたが、その社交的なコミュニケーションに違和感と若干の嫌悪感を募らせ、離れていった。対話は、自分以外の人や時代、社会が伝えることを受け止めながら、(非社交的に)自分の中で、自分だけでする作業だと思う。

それを文字と俯瞰図を使って示す方法を考え何度か試してみた。

学生時代に学んだKJ法に基づいたこの方法は、複数人で場を囲むことが必要になる。

そのころワークショップなどでも「KJ法」的なことが行われていたが、それらは参加者の共同理解を確認するのが目的で自分には馴染めなかった。

違いをどれだけ明らかに確認できるか、そこからしか共同理解への道のり(可能性)はないのではと思う。

 

そもそも、主催者能力(社交的なコミュニケーション)がないことがわかり、その後は一人で取組める、「朗読」、「坐禅」を始めるようになった。

 

「朗読」という仕方で「自分」を離れ作品の世界の中の別の「自分」(時代、社会)になる。そこに共感できるものがあれば、囚われている自分から離れて「非ず」へ少し旅することをができるかもしれない。今本州の北の方でも続けている。