放浪縄文人の日誌

30歳過ぎて山麓に30年以上暮し、その後1年東京世田谷で暮し、2023年3月末から本州の北の方に行った老人の折々の日誌

第8章 山麓時代③ 法人設立の頃

2002年9月にNPO法人した。 2022年6月に「清算完了」で全ての解散手続きが済むまで20年余り、その事業と共にあった。
 
1990年代後半、収入的には(仕事の掛け持ちで)以前より安定してきたが、結局は自分で始めなければ、というところに選択肢が限られてきた。
キ-ワ-ドは「障害者」「働く」、そしてその手段は自分が経験ある「清掃」という方向が定まっていった。
 
パ-トで始めた病院の日常清掃を受託していたのは長野に本部のある「協同での仕事おこし」を掲げている組織で、清掃の経験があることから重宝がられた。
そこで県内の色んな清掃現場を見させてもらった。
 
1998年のNPO法制定後、県内でも設立のためのセミナ—等が松本や長野で開催され、同居人と二人あるいは一人でよく出かけていった。
地元の商工会主催の「創業セミナ—」にも参加した。
「〈自分が実現したいこと〉、〈社会的なニーズ〉、〈自分が出来ること〉その重なり合うところで事業を立案する。」という話をなるほどと思いながら聞いていた。
今まで雇用されて働いていたころにはあまり知る必要もなかったことを知ることが出来た。
この頃は、これから始めることへの興味と意欲が、実際的なさまざまな困難を上回っていた。
それから20年後に、自分がその事業から離れるためにどれだけの労力を費やすことになるかは露知らず・・・。
 
いくつかの手続きを経て、2002年9月にNPO法人として設立登記が完了した。
法人役員にはグループホームの仕事をしていた頃知り合った人たちになってもらった。
定款に記載した「事業の目的」は、次の通りだった。
「この法人は、障害のある人をはじめとして、社会的に働く場が得にくく、また社会体験の場が限られた人たちに対して、協働での仕事つくりとそのための支援活動、また社会体験の場の提供に関する事業を行うことを通じて、一人一人の多様な生き方、働き方を支援する仕組みつくり、組織つくりをし、もって社会全体の利益の増進に寄与することを目的とする。」
 
この法人の事業という限定された立場からではあるが、このあと多くの具体的な経験をすることになっていく。