放浪縄文人の日誌

30歳過ぎて山麓に30年以上暮し、その後1年東京世田谷で暮し、2023年3月末から本州の北の方に行った老人の折々の日誌

仕事のない日

暑くなってきた。

 

オリンピック祝日は、代替えで現場仕事に行かなけれならない。

けれど、半日ほどの一人仕事は運動に丁度よい。

少し働いたことを理由に、昼は外食などしたりする。

 

そうはいっても、現場仕事は月のうち7日前後か。

予定表を作ったり金銭関係の処理をしたりする日を合わせても、パートタイムで10日未満だろう。

 

 

ではそれ以外の日に何をするか。

さらにそうした日をもっと増やしたいと思っているとしたら、長いようで短いこれからのそうした時間(人生)をどう過ごすか、なんとなくいつも考える。

 

だいぶ少なくなったとはいえ、仕事に関して思い煩うことは尽きない。

もっとも今までは、煩いが尽きないようにして、それをハリにしてきたのかもしれない。

 

そして今は、諦観しているところが増えていてそれほど具体的、些細なことで煩うことは減ってきた。

そうはいっても、煩いは簡単には枯れていかない。

 

そうなると、どうしてなぜ諦観したのか、あるいは、まだそこまでいかないところを考えたくなる。

 

いずれは、全てからリタイアしてもう関係ないという立場になるにしても、ここまで至った経緯と向き合っていくことが、さしあたりこれからの過ごし方になるのだろうか。

 

それが上手くできて諦観することになっていくのだろう。