放浪縄文人の日誌

30歳過ぎて山麓に30年以上暮し、その後1年東京世田谷で暮し、2023年3月末から本州の北の方に行った老人の折々の日誌

場所から振返る。 2023年11月8日

この世に生まれてから間もなく68年になる。

自分がこの世に生まれてからの暮らしてきた場所場所から、その時々の事柄を振り返って行こうと思う。。

直接には個々の人を通じて仕事やそのほか様々な事柄を経験した。(実際は事柄の体験を通じての人との出会いなのかもしれない。)場所と繋がって記憶にあるそうした事柄を振り返りたい。

 

場所の変遷は次のようになる。これによって記憶があるので、それなりにまとまりのある振返りが出来るかと思う。

正確な年月は定かでなくなっている。前後の関係くらいはわかるというところか。

 

①長岡時代。
1955年11月に新潟県長岡市で生まれた。(生まれた時の記憶はないがそうだろう。)4年くらいいたと思うがこの頃のことは覚えていない。
 
②小出時代。
小出町に1年くらい。これは当時父親が銀行員だったので転勤のための移転だろう。2階建ての一軒家の貸家に父母、自分と弟の4人そして2階には学生だったような男性がいたような記憶がある。風呂はなく隣家に入りに行っていたと思う。
大雨で道路が川になって小舟に乗った覚えがある。たしか個人の医院のようなところに行った。
家から道に出るところに幅一メートルくらいの小川があって、それを隔てた両側で近所のチビらでかなり本気の雪合戦をした記憶もある。
 
③再び長岡時代。
長岡に移転して1年くらい幼稚園に通園した。(たぶんみどり幼稚園。)
長岡では、台所が共同だったアパート(小さかったからか廊下が広い遊び場だった。)、信濃川近くの一軒家(ここから川沿いの道を歩いて神田小学校に通った。)、愛宕神社近くの父親の実家に住んでいた記憶がある。
 
⑤前橋時代。
小学2年の1学期が終ったあと、群馬県前橋市に引っ越した。1963年だろう。まだ蒸気機関車が走っていて、碓氷トンネルを通過するとき窓を閉めた記憶がある。
最初住んだのは、前橋刑務所のすぐ南にあった平屋のアパートだった。そのあと
家を建てて引っ越した。場所は当時のダイハツの工場(今はケヤキウォーク)の東側、天川小学校の西、そこに小学5年から高校を卒業するまでいた。
前橋での10年ほどの期間は色んな記憶が残っている。自分の中でなんらかの生きる基準が作られた時代だろう。
 
⑥府中時代。
高校卒業後、大学進学のため東京に出てきて府中市の外れ(北山町)にあった大学の寮に3月から夏前くらいまでいた。
国立駅まで歩いて一時間以上かかったと思う。そこから法政大学のある飯田橋駅まで行った。
あまり授業には出ず、新宿区河田町にある東京女子医大で清掃の仕事をした。8月くらいには他大学受験のため休学だか退学し仕事も辞めた。
 
⑦馬込(大田区)時代。
五反田駅から都営地下鉄西馬込駅下車、歩いて20分くらいの四畳半、トイレ、台所(洗い場)共同の汚い部屋に引っ越す。そこに再受験の翌3月くらいまで10か月くらい住んだ。
 
新小岩江戸川区)時代。
新小岩駅から歩いて10分くらいの中川の近くのアパートに。(1階が大家で雑貨屋だった。)
再受験で希望の大学に受からず、法政大学社会学部に復学。3年から4年になる時1年留年して5年で卒業。(1980年)そのあと1年会社勤めをしたので6年ほど住んだことになる。
 
⑨然別(北海道)時代。
1981年3月、会社を辞め、その後五反田の製缶工場でしばらく働いた後、4月末くらいから10月中旬くらいまで北海道然別湖畔のホテルで働く。専門学校入学のための資金稼ぎと、気持ちのオーバ-ホ-ルのためだった。
 
⑩田無時代。 
東京に再び戻り、専門学校入学のための受験勉強をする。学校のある所沢に近いという理由で西武新宿線田無駅近くのアパートに住む。
 
国分寺時代。
試験に落ち再受験を目指していた頃、バイト先で見つけて始めた障害児を対象としたボランティアが縁で、小金井市にあった障害児通園施設で働き始める。4年と10か月いた。それに伴い、職場に近い国分寺に引っ越す。
32才の年度末(1988年3月)で辞めるまでここで暮らす。
 
⑫小諸時代。
1988年4月から1995年
3つの住居に移り住む。
 
⑬御代田時代。
1995年から2022年3月
今の連合いが東京世田谷から来るのに伴い、借りてた畑のある御代田町(塩野)に知人から一軒家を紹介してもらって引越す。後半(2015年以降)は、グループホームを始める予定(その後中止する。)で購入した中古住宅に引越す。
 
⑭烏山(世田谷区)時代。
2022年4月から2023年3月
連合いの実家で暮らす。
 
⑮野辺地(青森県)時代。
2023年3月末から。
連合いの赴任先。