放浪縄文人の日誌

30歳過ぎて山麓に30年以上暮し、その後1年東京世田谷で暮し、2023年3月末から本州の北の方に行った老人の折々の日誌

第6章 山麓時代① 山麓行

浅間山南麓の小諸、御代田で暮らした。
「障害児通園施設」で4年10か月勤めた後だ。
何故この地に行ったのかから書き始めると長くまとまりなくなってしまうのでここではやめておく。
 
1988年3月から2022年3月まで34年ほど。(1995年からは御代田町)
今はこの時代を静かに振り返ってみよう。
 
始め、味噌作りをしている作業場兼住居に住み込んだ。ここに来ることが目的だった。が、そこは一年で離れた。
いわゆる「障害者」も暮らしている。隣室とはベニヤ一枚で隔てられている。
「意欲」を持って来たものの、それと等しく反比例して苦しくなっていった。結局は受動的に「期待」だけした結果だったのだろう・・・と今は考える。
 
金銭的にもその頃はその日暮しだった。賃金は毎月5万円。身体的に動けるということがしばらくはそれを可能にした。
そのあとの数年は苦しい中での「前進」だったのだろうか。農業、別荘地の整備、土方などの外仕事で日当を得た。
 
その頃知人から資金を募って軽井沢のはずれの別荘地に「山荘」を購入した。(これは今に至り負の遺産となっている。)ともかく後戻り出来ない状況の中でなかなか前進しない年月を過ごしていった。
もっともその頃は計画的な見通しを持つということが不得手だった。そして余裕もなかった。それはそのあとも基本変わらずに続いた傾向だったように思う。
そして、「山荘」を拠点にして知人、友人を募り夏に農業を体験する「ワークキャンプ」を始めた。1990年代の初めの頃だった。