放浪縄文人の日誌

30歳過ぎて山麓に30年以上暮し、その後1年東京世田谷で暮し、2023年3月末から本州の北の方に行った老人の折々の日誌

原発見学会 11/16、17

町が主催する原発見学会に参加した。
1日目。朝7時10分野辺地駅集合。早めに行ったつもりだが皆さんすでに集まっている。
青い森鉄道、新幹線を乗り継いで10時30分仙台駅到着。ここから貸切りの大型バスに乗る。
町の職員2名を含めて総勢15名ほどのほぼ老男女の団体旅行だ。町職員がスムーズに引率してくれる。
仙台駅前から乗車したバスは、高速道も使い1時間以上走る。昼前に女川の港近くの店に到着し、海鮮丼の昼食。そのあと女川原発PRセンター、原発敷地内バスで移動見学。宿泊先の仙台駅近くのビジネスホテルに到着したのは18時くらいだった。
夕飯は少し歩いたところにあったイオンで弁当、惣菜、本絞りを求める。(これだけ自費)
2日目は9時40分ホテルロビー集合。三居沢電気100年館見学。まだ稼働中の東北地方初の水力発電所とのことだ。青葉城会館に移動し昼食。そのあと仙台駅へ。
皆さんたくさんの土産を買い込んでいた。自分は食パンと菓子パンを購入。
新幹線、青い森鉄道を乗り継いで17時10分野辺地駅到着、解散となる。早々に車に向かう。
 
電力会社のおもてなし、サービスの質には感服した。
概要はPRセンター所属の感じのよい若い女性、また原発敷地内ではベテランの男性社員がわかりやすく説明してくれる。
 
一つ知れば、また次々とわからないことが増えてくるが、個人の手の及ばないところできわめて多くの人が役割を担って運用していることをあらためて知った。
 
女川原発では来年の再開、安全対策等に向けて広大な敷地内を大型トラックが動き回っていた。その中を団体客は大型バスで周遊した。
2011年の震災の時、女川は福島の原発より震源地から近かったが安全停止し、近隣住民の避難場所に開放したという。
 
原発はヒトの強みである組織的運営・管理の典型事例だろう。
自分のような非協調的人間も、身近なところにあるスイッチやコンセントで、その構成員としていつも繋げさせてもらっている。